6000系(6004) 準急 D1004Z
京阪本線 大和田 2006年3月25日撮影
 1983年(昭和58年)〜1990年(平成2年)在来車の昇圧工事をコツコツと進めていく中で、その最後を飾って登場したニューモデル車です。昇圧困難なつり掛車の代替を主目的とし、その大胆なデザインとすぐれた技術が評価されて、鉄道友の会のローレル賞を受賞しました。
 7連×11本が新造されることになりましたが、昇圧前の1983年(昭和58年)3月に、複電圧仕様の4連×5本=20両が登場、中間Tなしの4M編成ながら各電動車の主電動機を2台ずつ開放し、実質2M2Tの性能で600V時代をしのぎ、昇圧時に本来の性能に戻してT車を追加し7連化するという経過をたどりました。残る57両は1500V専用として製造され、58年12月の昇圧時から使用を開始しています。
 2次車として1986年(昭和61年)10月に、12番編成がMc-T-T-Mc の4連で登場、台車やクーラー・室内に若干の変更がなされています。1987年(昭和62年)4月には1〜3番のT3車が増備されて8連化され、1988年(昭和63年)には4次車として13番編成が7連で登場しています。1989年(平成元年)には5次車として12番を7連化するための中間車3両、6次車として14番の編成が7連で登場し、これの京都側ユニットには試作的にVVVF制御を搭載しています。その後は8連化のための中間車が増備され、最終的に全編成が8連で揃うことになりました。
 車体はアルミの大型押出型材で構成され、3扉車ながら側窓は大きな1段下降窓となり、扉間に2枚ずつ配置され、従来の2段窓の京阪電車のイメージから大きく変化しました。前面は半流線型非貫通で、傾斜したガラスが側面まで回り込んだ連続窓風になっていますが、向かって左半分は外開きの非常扉として構成されています。前照灯は角形になり行先表示装置と一体化され、窓ガラス内部に設置されています。車番が車掌側窓下に移り、運転士側窓下には「KEIHAN」の頭文字Kをデザインした「Kマーク」がとりつけられました。
 車内は壁面化粧板がベージュ系の明るいものになり、シートの袖部はパイプ構成をやめて化粧板張りとし、吊手棒と結ぶようにスタンションポールが立てられています。ドアの開く時には女声で「右(左)側のドアが開きます。ご注意下さい。」という放送が入り、閉まるときは警報音が鳴るようになっおり、これには音声合成装置が採用されています。屋根上はクーラーを車体中央にまとめて配置し、キセを一体化したのでスッキリとしており、パンタは制御装置を持つM1車に2台搭載されています。
 走り装置は1500V用として京阪で初めて8M1CのいわゆるMM’方式を採用、複巻電動機を使った界磁位相制御で回生ブレーキという得意業の制御装置です。台車は通勤車で初めてダイレクトマウント式空気バネで、M車は乾式円筒案内式および軸梁式、T車はSUミンデン式になりました。京阪の通勤車での住友台車は側梁緩衝ゴム式ばかりで、他私鉄で多数採用されたS形ミンデン台車はまったく使用されていません。SUミンデン台車は2600系でKS−63系の取り替え用に初採用されましたが、新車でミンデン台車が本格採用されたのは、1900系のFS−347以来ほぼ20年ぶりのことです。14番編成のVVVF制御は7000系の先攻試作的なもので、界磁位相制御という独自路線を歩んできた京阪にも、これからの主流となる技術を導入することになりました。200kWという強力な主電動機を誇り、インバータの発する音を極力抑えるように工夫されています。このユニットは4M1Cでパンタも1基になり、補助電源にはSIVを使用、M車を分散した編成となっています。
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