5000系(5555) 準急 M0906H
京阪本線 大和田 2006年3月25日撮影
 1970年(昭和45年)〜1980年(昭和55年)に登場した日本初の5扉車です。当時、複々線は天満橋−野江間は完成していましたが、守口−寝屋川信号所間はまだ複線で、昇圧も実施にはほど遠い段階で、連結両数を7連以上にすることは困難な状況でした。このため7連のままでのラッシュ打開策として、扉数を増やして乗降時分の短縮をはかり、立ち席の増加で車内混雑を均一化する目的で5扉車5000系が登場したのです。
 1980年(昭和55年)2月に4番の編成が上り急行で運行中、枚方市〜御殿山間の磯島曲線で置き石によって脱線転覆する事故があり、5554号と5154号が大破しました。その後、5554号は同一番号で2代目が新造され、事故車の1代目は1980年(昭和55年)12月29日付で廃車されています。5154号は機器等流用で車体新造されており、車籍は新造時から継承されています。
 昇圧対策を施して新造されたため、簡単な改造が行われただけで、外観・機器とも大きな変化はありません。
 車体は京阪初のアルミ合金製で全体に角張った感じになり、18m級3扉通勤車の扉間にラッシュ用扉として2ケ所を設け、窓は扉間に1枚ずつになっています。閑散時にはラッシュ用扉は締め切りとし、座席をセットして3扉車として運用できるように設計されました。扉幅は3扉車の1300mmより狭い1200mmとなり、窓は外はめユニットサッシで 900mm幅となり、側面に行先表示装置が設けられました。前面デザインも一新され車掌側の2段窓が1枚窓になり、屋根カーブにそってヒサシがつき、貫通ホロが埋め込み式になりました。ラッシュ用扉の車内には昇降式の座席が組み込まれており、閑散時には締め切られた扉の部分にこの座席がセットされて、3扉車と同様の座席数が確保されます。冷房装置は集約分散式になり、1車あたり40000kcal/h で、ラインデリアと回転グリルの組み合せは5000系から採用されたものです。ラッシュ用扉部分の座席ヒーターがつかないので、ヒートポンプ式エアコンによる温風暖房になっています。
 走り装置は2400系に準じていますが、制御装置はICを使って無接点化をはかったものとなり、空気制動には応答性のすぐれた全電気指令式ブレーキを初採用しました。
 2次車2番編成から標識灯が角形2灯式になり、3次車5番編成から正面貫通扉へ行先表示装置がとりつけられ、歯車比を少し小さめに変更して高速対応形にしています。のちに2〜4番の編成もこの歯車比に変更されました。行先表示装置は京阪通勤車全編成の先頭車に取り付けられるようになりました。
 昇圧は8M2C親子方式で行われ、3次車5番編成以降は昇圧完全対応で新造されていたため無改造で昇圧、1・2次車は1978年(昭和53年)に、高圧車となる京都側M1車に高速度限流遮断器を設置、避雷器を取り替える等の小改造を施して3次車にあわせた上、昇圧されました。
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