2200系(2224) R0910N
京阪本線 大和田 2006年3月25日撮影
 各駅停車用高性能車としてうまれたスーパーカー2000系に続いて、経済性を重点にした急行用として1964年(昭和39年)〜1968年(昭和43年)に製造されました。Mc-T-M-Tc の4両編成を基本形にして登場し、98両が製造され、4〜6連で急行・準急の運用についていましたが、7連化されるときに半端になったTc車3両がT化されて2000系に編入され、4M3Tの7連×13本と2M2Tの4連×1本の95両にまとめられました。
 1974年(昭和49年)からの昇圧準備工事中に、2600系の3連ユニットが2200系併結用になり、結局4M3Tの7連×14本となりました。昇圧後に8連運転をするため、増結用T車が5両新造され現在の100両所帯になりました。
 車体は2000系2次車に準じた窓配置で、卵型断面のモノコックボディですが、パンタが連結面側になり、前面床下に京阪で初めてのスカートが設けられ、貫通ホロの吊具がなくなってスッキリしたのが特徴でした。2000系の高加減速方式をやめ、大出力電動機によるMT編成となり、加速度 2.5Km/h/s・減速度4.0Km/h/s の設定は以後の京阪通勤車の標準となっています。
 1974年(昭和49年)からは昇圧準備工事と冷房化が行われ、4台のクーラーを搭載、パンタが下枠交差式のPT48に交換されました。走り装置は4M1Cであったものを8M2Cの親子方式に改造、MT交互に編成されていたものをMMユニットに編成替えが行われました。
 昭和59年から63年にかけて改修工事が行われ、先頭車の前面貫通扉が外開き非常扉になり、車掌側窓の2段窓をやめて1枚化され、これまでの京阪電車の顔のイメージを一新しました。改造時期によって標識灯が旧形のままのもの、角形2灯式になったもの、正面窓の取り付けをHゴムからアルミ枠にしたもの、と変化しています。他に乗務員扉の取り替えや側面方向幕が変更されています。
 走り装置は8M1Cに再改造され、京都側M1 車に制御装置・大阪側M2 車にCPを2台搭載・MGは各ユニットのT2 またはTc2 に搭載されています。途中からは添加励磁制御を採用して直巻電動機の回生ブレーキ車もできています。
←戻る TOP 掲示板